みなさんこんにちは。
ラン歴11年サブ3.5ランナー(3:17:58)のみつ(@hiroki.mitsunaga)が2024/4/26.27に開催されたMt.FUJI100に参加してきました。
2年前にMt.FUJI100(UTMF)のスタートラインに立ちたいと決意。
そこから私の人生が変わりました。
「Mt.FUJI100(UTMF)でマイラーになる」
この夢を叶えるために人生初の100マイルに挑戦してきました。
いつかはMt.FUJI100に出たい、いつかは100マイルに挑戦したいと思っている方にはきっとお役に立てる情報だと思います。
今回は44時間を超えるロングレースになるので①・②・③の3部に分けて執筆させていただきます。
Mt.FUJI100①、②に引き続きMt.FUJI100③も長文になりますが最後までお付き合いいただけたらうれしいです。
【 Mt.FUJI100 2024】レース動画完全版・前半戦(Instagramリール)
【 Mt.FUJI100 2024】レース動画完全版・後半戦(Instagramリール)
この記事を執筆している筆者の簡単なプロフィールになります。
目標はMt.FUJI100でマイラーになること。
アシックス大好きランナーでもあります。
- 34歳(はじめは10km走れない状態)からランニングを始め現在45歳
- 初フルマラソン5:35:29(2015) 名古屋アドベンチャーマラソン
- フルマラソン3:17:58(2024) 姫路城マラソン
- ハーフマラソン1:29:29(2022)ぎふ清流ハーフマラソン
- 10km39:27(2023) 刈谷市かきつばたマラソン
- 100kmトレイルランニング完走19:42:17(2023)奥信濃100
- 100kmウルトラマラソン完走12:50:47(2023)野辺山
- 118kmウルトラマラソン完走14:32:45(2023)チャレンジ富士五湖

Mt.FUJI100に出会って人生が変わりました
「Mt.FUJI100」・「100マイル」
この2つはどちらもずっと憧れていた世界。
目標に向かって挑戦している時間は苦しかったけど楽しかった。
こんなに真剣に挑戦できる趣味に出会えた私は幸せ者です。
もしこの目標に出会っていなかったら全く違う人生を歩んでいたと思います。
今日まで一緒に走ってくれた仲間、そしてこの挑戦をそっと見守ってくれた妻には感謝しかありません。
いつもありがとう。
はじめは到底無理だと思った挑戦だけど徐々にできるようになっていくのは本当にうれしかった。
今回諦めなければ出来るんだ、やれば出来るんだと思わせてくれました。
Mt.FUJI100に出会うことができて本当によかったです。
第4関門(富士北麓公園体育館)97.4km~第5関門(忍野)113.0km
ここからはMt.FUJI100②の続きになります。

23:10
第4関門の最終出発時刻は23:55。
関門閉鎖まで残り45分。
体はかなり疲れていたので気持ちが上がってこない。
それなら休めるだけ休んで少しでも流れが変わることに賭けた。
23:50
関門閉鎖5分前。
貯金タイムは全て使い果たした。
果たしてゴールできるのだろうか?
足が動く限り、関門アウトにならない限りは前へ進みたい。
できる、絶対できる。
自分に言い聞かせた。
デポバックを再び預けてレースに復帰した。




次の目的地は第5関門の忍野(113.0km)
このエイドは愛知県の皆さんが運営してくれています。
知り合いのラン友さんがたくさんいるのでみなさんに会えるのを楽しみに頑張ろうと思った。
富士北麓公園を出て走り出したが体が重い。
そして思うように足が動かない。
時間を使って休んだはずなのに、、、。
これはまずい、かなり疲れている。
自分でも悲しくなる状態だった。
0:47
えっ、何?
山に入る手前で渋滞していた。
大勢の人が足止めを食らっている。
ザックの後ろに付いている点滅ライトがたくさん光っていた。
何が起こったのだろう。
道端には何人かのランナーが座り込んでいた。

、、、、、。
ここから私の記憶は飛びはじめ苦しい時間が始まります。
疲れと睡魔で記憶がほとんどない。
この区間は何があってどんなコースだったのだろう。
全く思い出せない。
写真を撮る余裕はもうなくなっていた。
次の関門まで1枚しか撮っていない。
レース中こんなことは初めてだった。
うっすら覚えているのは次のエイドに愛知のラン友さんがたくさんいること。
知り合いが多いのでこの関門でアウトになることだけは避けたかった。
関門時間内に到着してみなさんからパワーをもらいたい、そう思ったのはしっかりと覚えている。
2:41
写真を撮ろうと思って携帯を出したのだろう。
写っていたのはこちらの写真。
ブレブレで何が何だか分からない。
ただ写真を撮ろうという気持ちだけはあったみたい。
こんな状態で次の関門までたどり着けるのだろうか?
もう少ししたらみんなに会える。
みんなの顔を見て元気をもらうんだ。
その記憶しか残っていない。

2:57
明るい光、建物が見えてきた。
発電機の音が聞こえてくる。
間違いなくエイドだ。
歩いているとまず最初にさとみさんが出迎えてくれた。
「おつかれさまー」
知っている顔を見たらホッとした。
次に青い計測マットの手前でまちゃさんに会った。
「あれっ、みつくんKAIだっけ?」
「いやっ、マイルマイル」
少し話して元気になった。



113.0km
2:58(スタートから26時間28分)
第5関門の忍野に到着(貯金タイムは1時間32分)
第4関門では貯金をほぼ使い果たしたが再び貯金ができた。
エイド内に入ると知ってるラン友さんがたくさんいた。
たぐちさんとゆうこさん。
いろいろな大会でご一緒したこともあるしたぐちさんの影響でUTMFに興味を持った。
苦しい時にこうやって知り合いに会えるのはパワーをいただける。
たんたん炭治郎さんとは、鬼滅の刃の仮装で遊んでいた仲。
みずおちさんはこのMt.FUJI100に向けて一緒に天子山地の試走に行った仲。
あーーー、人の力は本当にすごいと思った。
ここまで来た記憶がほとんどないのにじわりじわりとエネルギーが湧いてくるのが分かった。
この113km地点でみなさんに会えたことはとても大きかった。
仮に愛知エイドがもっと前半でこのエイドに知り合いがいなかったらここまで頑張れなかったかもしれない。



バナナを取ってそのままエイドを出ようか仮眠しようか迷っていたら再びふじたさんと再会(3回目)
やっぱりまた会えた笑。
すぐに出発する?仮眠する?
頭の中はずっと眠いモードだったので休むことを選択。
貯金が1時間32分できたから少しだけ休もう。
3:20
体育館の中に入り15分だけ仮眠した。



第5関門(忍野)113.0km~第6関門(山中湖きらら)122.5km

3:43
忍野エイドを出発。
次の目的地は9.5km先の山中湖きらら。
15分仮眠したのにここから先は究極に眠かった。
4:35
うっすらと夜が明けてきた。
空からは小雨がパラパラ。
レインウェアを出すか悩んでいたが寒かったので一度足を止めザックから取り出して着る。
さらに指先が冷たかったのでテムレスのゴム手袋を装着。
雨が降る予報ではなかったんだけどな。

長い一本道を歩いて行く。
眠い、、、眠い、、、
とにかく眠い。
この大会で一番強烈な睡魔に襲われていた。
お酒を飲み過ぎても千鳥足になることはほとんどないが睡魔には勝てなかった。
普通に歩くことができない。
右へフラフラ、左へフラフラ。
途中カクって膝が折れたり、立ったまま寝ていたり。
ここまでレース中に追い詰められた経験はない。
途中道路の溝に何度落ちそうになったことか。
やばいやばいってなりながら歩いた記憶はしっかりある。
道端に何人かの人が倒れている(寝ている)
眠気に耐えられなかったのだろう。
自分も今すぐに寝たかったので気持ちはよく分かる。
少し先にガードレールがあってちょうど座れる段差になっていた。
みんな考えることは一緒。
横の人と気にならない感覚を開けて段差に腰を下ろし就寝タイム。
あー、気持ちいい。
一瞬で寝れそう。
もう限界だった。
一人じゃない安心感。
みなさんと睡眠を共にする幸福感。
あーーー、ずっとこうしていたい。
両手で顎を支えながら目を閉じた。
3分くらい経ったかな⁈
目を開けて起きようとするが、、、あと30秒だけ。
数を数えながら目を閉じる。
27、28、29、30
よし、起きようと思うがなかなか立てない。
あと1分だけ。
再び目を閉じた。
自分と戦っていた。
レース中なのは分かっている。
時間は動き続けている。
早く前に進まないと。
自分は道路で気持ちよく寝に来たんじゃない、マイラーになるために来たんだ。
脳にやる気信号を送った。
ボクシングの経験はないがダウンして10カウント以内に起き上がる時ってこんな感じなのだろう。
ノックアウトだけはごめんだ。
カウント9でギリギリで立ち上がった。
まだ負けるわけにはいかない。
再びまっすぐの一本道を歩いて行く。
いつまでこの睡魔は付きまとうのだろう。
早く取っ払いたいがどうしたらいいのか分からない。

気が付けば山の登り坂を歩いていた。
、、、。
まだ眠い。
歩いて止まって目を閉じる。
歩いて止まって目を閉じる。
時計を見るが時間の計算ができない。
もうだめかな、悲しいがそう思った。
いい加減目を覚ませ。
瞼の下をおもいっきりつねったりほっぺたをたたいたり。
周りに人がいないことを確認したら大声で叫んでみたり、歌を歌ったり。
出来ることはなんでもした。
それでも睡魔には勝てなかった。
脳みその99%が眠いと言っている。
人間の限界を超えていた。
気を抜いたら一瞬で寝れそうだった。
そんな時、ついにこれかって思える出来事が。
それは【幻覚】
一度は経験したいと思っていた幻覚。
おそらくだが実際に体験できたと思っている。
山道をとぼとぼ歩いていると前方にあるものが見えてきた。
木製で出来た格子状の扉。
まるで隈研吾さんがデザインしたかのようなお洒落なホテルが現れた。
ようやくフカフカのベッドで寝れる。
本気でそう思った。
チェックインしてベッドに飛び込みたい、そう思った瞬間だった。
えっっっっっっっっっ!
そんなばかな。
当たり前だがホテルなんかあるわけがない。
目の前にあるのは動物が入らないための鉄柵だった。
格子状の柵が木製で作られたホテルの扉に見えるなんて。
そんなことあるんだ、現実なのか夢なのか分からなかった。
これくらいの極限状態になると見えるんだ。
身をもって体験することができた「幻覚」。
Mt.FUJI100でまた一つ夢が叶った。
5:20
けっこう急な階段を登っていた。
足は痛いし疲れているがそれよりも眠気が勝っていた。
頭は寝ているけど体は動いている、そんな状態。
後ろを振り返るときれいな富士山が見えた。
レースが始まって何回目の富士山だろう。
富士山が見えない年もあるので今年は当たり年だなと思った。


5:29
平尾山山頂に到着。
この辺りの記憶もほとんどない。
寝ながら歩いていたのだろう。
写真も無ければ下山の様子も全く思い出せない。
よく前に進んでいたなと自分でもびっくり。

6:11
山を下り終えるとロードを歩いていた。
もうすぐ第6関門の山中湖きららに到着するはず。
エイドが近づくにつれ眠気が少しずつ和らいだ気がした。




122.5km
6:17(スタートから29時間47分)
第6関門山中湖きららに到着(貯金タイムは3時間13分)
第5関門の忍野からはさらに1時間41分の貯金ができたのでびっくり。
貯金が減っていると思っていたので増えていることを知り少しだけ元気になった。
この区間は睡魔との戦いで本当に苦しかった。
ずっと思考停止状態。
100マイルの洗礼を思いっきり浴びていた。
お腹は減っていたので最初にバナナ、パンを食べた後豚汁とおにぎりをいただきベンチに座る。
あー、幸せ。
座れる喜びを噛みしめていた。
豚汁を一口すする。
うまい。
疲れた時の豚汁ってなんでこんなに美味しいんだろう。
おにぎりは汁の中に入れて雑炊として食べた。








このまますぐにエイドを出る選択もあったが貯金が3時間あったので仮眠を取ることにした。
テントの中に入るとそこには毛布が用意されていた。
山中湖きららにはそんなサービスがあるのね、知らなかった。
毛布を一枚取ってストーブの近くで横になる。
、、、。
なんて気持ちいいんだろう。
ストーブに毛布。
最強アイテムをゲットしてしまった。
さらに枕があったら極上の睡眠が得られるんだろうなと想像してしまう。
このまま一瞬で爆睡できそう。
起きた時、関門アウトになってる人はいないのかな?
そんな恐ろしい状況だけは絶対に避けたい。
携帯のアラームを20分でかけた。
もう自分の状態がよく分からない。
疲れているし足も痛い。
それだけならいいのだが頭の脳みそが全く機能していないのが一番つらかった。
2時間くらいずっとぼーーーーーーっとしている感じ。
よくここまでたどり着いたなと本当に思う。
ピピピピピ、ピピピピピ。
アラームが鳴った。
起きたくないけど起きないと。
どれくらい寝るのが正解なのだろう。
もっと寝たい気持ちはあったが逆に寝すぎると体が動かなくなるような気がしたので20分で起きた。
ふーーーー。
またレースに戻らないと、、、。
100マイルは長すぎる。
最初で最後の100マイルにしたいと思った。



第6関門(山中湖きらら)122.5km~第7関門(二十曲峠)136km

7:10
第6関門山中湖きららを出発した。
ロードを進み再び山の中へ入って行く。


8:07
前半は緑の葉っぱがたくさんあったが途中から景色ががらりと変わった。
今までの山とは雰囲気が全く違う。
大きな木は無くなり黒い地面と茶色い藁のような草。
まるで山火事が起こった後みたいだった。
なんなんだ、この山は。
不気味だし日本じゃないみたい。
足を止めずに登っていくがけっこう急斜面。
富士山を登っているみたいだった。
だいぶ高い所まで登ってきたかな。
振り返ると雲に隠れた富士山と湖が見えた。
すごい景色。
ちょうど人がいたので写真を撮ってもらった。
レース前半はたくさん写真を撮ってきたが第4関門富士北麓公園を出てからはあまり撮っていない。
撮りたい気持ちはあるのだが携帯を出す気力がなくなっていた。
ここまで追い込まれたのは初めてだと思う。






カウベルの音が聞こえてきた。
白い紙にたくさんのメッセージが書かれてあったが読む気が起こらずちらっと見て通り過ぎた。
あきらかに疲労困憊。
せっかく流れを変えるチャンスだったのに。
「山頂でーす」
ボランティアの人が笑顔で頷いてくれる。
その笑顔を見たら少しだけ元気が出た。
看板を見ると明神山頂と書かれていた。
自分が今何という山を登っているのか分かっていなかったので初めてこの山が明神山だと知った。



ここからは下り。
きれいな一本道が続く。
走れたら絶対に気持ちいいはずだが自分の足は残っていなかった。
、、、。
左足首が痛い。
特に下りで踏ん張るとズキンと痛みが走る。
少しだけ右足に重心を置きながら進んだ。


8:49
登っては下る、登っては下る。
小さいピークが何個もあってずっとアップダウンを繰り返していた。
長い、、、長すぎる。
早く次の関門に到着したい。
まだかまだかと思いながら進んだ。
9:23
ずっと苦しめられていた睡魔はこの辺りでおさらば。
ようやく眠気のピークを超えたみたい。
しばらくすると看板が現れた。
菰釣山?高指山?
下を見たら神奈川県と書いてある。
神奈川県もコースの一部なんだ。
このエリアはほとんど下調べしてなかったので初めて聞く名前ばかりだった。
10:23
石割山?山伏峠?
山頂らしきプレートがないので登り切ったという達成感がまるでない。
小さくてもいいからプレートを見てこの山の頂上に着いたとなればまた頑張ろうと思えるのに。
同じような道を登って下って登って下って、、、。
いい加減飽きてきた。
気になる左足首はさらに痛みが増していく。
実際に靴下を脱いで確認はしていないが熱をもって腫れている感覚あり。
大丈夫だろうか?
このまま最後までもってくれるだろうか?
精神的にも肉体的にもかなりこたえていた。








ボランティアの人が拍手で出迎えてくれる。
136km
11:51(スタートから35時間21分)
第7関門二十曲峠に到着(貯金タイムは1時間9分)
第6関門の山中湖きららからはマイナス2時間4分。
もうこの辺りから次の関門が突破できるのか分からない感じだった。
あきらかに限界を超えている。
完走したい気持ちはあるが果たしてこのエイドを出発していいのだろうか?
途中で無理ってなったらここまで引き返すか次の関門まで自力で向かわないといけない。
まさに進むか辞めるか。
この大会で初めて考えた。




このエイドを出ると杓子山を通過しなければいけない。
「杓子山(しゃくしやま)」
何人かの人に「しゃくしはキツイよー」と話は聞いていた。
グレートレースの番組で見たけど崖登りのような所もある。
元気な状態なら問題ないが今の体力で大丈夫なのか不安しかなかった。
行くのか、行かないのか?
考えている時間がもったいない。
行くなら早く行った方がいいのは分かっているけど、、、。
そんな時に救世主現る。
ちーちゃんだ。
途中何回か一緒になったがここでもまた再会した。
「きついよね」
「次の関門までちょっと厳しいんじゃない?」
少し話をして「ちーちゃんは行く?」と聞いてみると
「私が引っ張るから一緒に行きましょう!」と言った。
どんだけ気持ちが強いの。
その一言でもう一回気持ちに火が付いた。
体は同じ状態なのに気持ちの変化でこうも変わるんだ。
絶対に完走してフィニッシャーズベストを着たい。
ここでちーちゃんに出会えたのはまだ運がある証拠。
ラストチャンスに賭けた。


第7関門(二十曲峠)136km~第8関門(富士吉田)147.8km

12:00
第7関門(二十曲峠)を出発した。
ここからは基本登り。
ちーちゃんがものすごいスピードで山を登っていく。
速っ。
でもついて行くしかない。
ちょっと待ってなんてとても言えない感じ。
これはまじモードだ。
息が上がる。
少しづつ離されていく。
先に行ってと言おうとしたがここで諦めたら完走できない気がした。
ただただ離されない、付いて行くことだけに集中した。
毎週木曜にトラックで練習しているスピ練の光景が蘇ってきた。
前の人から絶対に離されない。
そう思いながら今まで何回も食らいついてきた。
だから今回もできる。
ちーちゃんに感謝しながら全力で付いて行く。
ゴールまでの体力がどうとか左足首が痛いことも忘れるくらい集中していた。
スタートからもうすぐ140kmだが間違いなくこのレース最速で山を登っていた。
12:40
このペース、ひょっとしたら次の関門に間に合うんじゃない?
そんな期待をしたら前からあいかわさんが現れた。
Mt.FUJI100の応援に来ているのは知っていたがまさかこんな所で会えるとは。
少し喋っていたらある情報を聞いた。
「少し先の杓子山で渋滞していますよ」
えー、そうなの。
ここまで順調に来れたのに。
この時は長くても15分~30分くらいの渋滞だろうと思っていた。

12:55
渋滞の列はまだ見えない。
本当に渋滞してるのだろうか?
相変わらずかなりのスピードで山を登っていると渋滞の最後尾に合流した。
そして足が止まる。
ここまでいい感じだったのに、、、ショックがでかかった。
渋滞の列がゆっくりでも進んでいればいいのだが全く動いていない。
大丈夫だろうか。
心に宿った炎が少しずつ小さくなっていく。

ここから悲劇が始まる。
現在いる所がおそらく標高1500mくらい。(杓子山は1597m)
まだお昼過ぎなのに寒い。
風はそこまで吹いていないのが救いだったが汗冷えもあって手足の指先、体が一気に冷たくなってきた。
これはまずい。
低体温症になるかも。
ザックから長ズボン、フリース、レインウェア、手袋、全ての防寒装備をだして着用した。
前にいる人達も防寒のフル装備、中にはサバイバルシートにくるまってる人もいた。
まじで寒い。
たまに歯がカチカチってなる。
実際にどうか分からないが低体温症になった人がいてもおかしくない状況だった。
13:55
渋滞に巻き込まれて1時間が経過。
まさか1時間を越えるなんて。
現在の状況は1分経ったら10歩進む、そんな感じ。
一応進んではいるが先が遠い、涙。
周りの人達の会話が聞こえてくる。
「もう完走は厳しいですね」
「この日のために練習してきたのに」
「このままだと本当に低体温症になるって」
「なにか特別な救済措置はないのかね」
当たり前だがみんな完走したいのだ。
冷静かつ気持ちを穏やかに保とうとしているが心の中は焦っている。
一人の女性は過呼吸になってしまい大変だった。
先の状況が全く分からないので若干パニック気味な雰囲気でもあった。
、、、。
少しでもいいから情報が欲しい。
今どんな状況であとどれくらいしたらこの渋滞から抜け出せるのか?
心の炎がさらに小さくなりもう消える寸前だった。


14:35
渋滞から1時間40分が経過。
終わった。
完全に詰んだ。
この日のために2年間頑張ってきたのに。
呆然と立ちつくしたまま今までを振り返っていた。
ポイントを集めてきたレース(奥信濃100、ONTAKE100、奥三河パワートレイル)
どれもきつかったけど諦めずに最後まで走り切った。
全てはこの大会でマイラーになるために。
まさかこのタイミングで渋滞に巻き込まれるとは。
進みたいけど進めない。
私のMt.FUJI100、そして100マイルの挑戦は99%幕を閉じた。
手の指先が冷たい。
今振り返ると軽度の低体温症になりかけていたのかも。
動いていればまだいいが止まっているから余計に寒い。
おそらく体も足もガチガチに固まっているはず。
今走り出したら筋肉がぶっ壊れるんじゃないかと思った。
14:40
ついに渋滞の原因となっている場所にたどり着いた。
そういう状況ね、少しだけ謎が解けた。
前を見ると岩の壁を人が登っている。
これはまずいやつだ。
元気な状態ならスイスイ登っていける人ばかりだけど140km山を走ってきた後のこれはエグイ。
足が残っていなかったらこの壁を登るのは厳しいかもしれない。
ボランティアの人がたまに指示を出している。
「右足はそこの岩にかけて左手はここをつかんで」
「ゆっくりで大丈夫、焦らずいきましょう」
そりゃ渋滞になるよ。
登っている最中に足が攣ったらもうおしまいです。
前の人が最後まで登り切るのを確認したら次の人が登り始める。
万が一上の人が落ちてきたら下の人は、、、。
過去にこの場所で大怪我した人はいないのかな。
だんだん自分の番が近づいて来る。
渋滞で止まってからものすごい時間が経過しているけど足はちゃんと動くのか?
もしかして攣ったりして。
そしてついに自分の番がやって来た。
これはちょっとしたアトラクションだ。
まさにロッククライミング。
右足を岩にかけ左手で岩を掴む。
次はその逆。
高さは5~6mくらいかな。
足は大丈夫そう。
スイスイ登ることができた。
ふーーー、とりあえずは一安心。
ただ時間だけはかなりロスしてしまった。


15:14
杓子山山頂に到着。
この杓子山、富士山バックに鐘を鳴らせることで有名な山。
いつかは自分もやってみたいと思っていた場所。
ようやくたどり着くことができた。
さっきの渋滞で心の動揺が半端ないのが分かる。
チーーーーン。
心のモヤモヤを吹き飛ばしたかったので鐘を強めに一回鳴らした。
かなりいい音で響き渡る。
自分の気持ちも少しだけ楽になった。


ここからは一気に下っていく。
次の関門時間と今の時間を逆算して考えてみたが、、、。
おそらく次の関門には間に合わないだろう。
一人だったら間違いなく諦めていた。
ただちーちゃんはまだ諦めていなかった。
「みつさん、行きますよ!」
もう間に合わないよと心の中で思った。
最後まで全力を出す姿勢がかっこいいなと。
そうだよな、どうせ間に合わなくても最後は全力を出し切って終わりたい。
ありがとう。
「行けるとこまで付いて行くけど離れても気にしないで先に行ってね」と伝えた。
スタートしてから38時間44分が経過していた。
左足首と足裏は相変わらず痛かったが気持ちが高ぶっていたせいかそこまで気にならなかった。
道幅は広いし緩やかな下り。
木の根っこや石ころはほとんどない。
気持ちよく走れる傾斜なのでコースに救われた。
キロ5は切っていたと思う。
急な下りではお互い何度も転んだ。
勢いがあるから止まらない。
「大丈夫?」
声を掛け合う。
そんな状況も楽しんでいた。
飛ばす、飛ばす、ぶっ飛ばす。
ここに来てまたトラックでスピ練しているようだった。
気持ちよすぎてこのままずっと走って行けるんじゃないかと思った。
もう完全にいかれてる。
この区間だけで何人の人を抜かしてきたのだろう。
おそらくあいつら頭おかしいんじゃないというスピードだったはず。
まさに別人になった気分だった。
どこにそんな力が残っていたのだろう。
自分でも驚いた。
気持ち、出会い、きっかけ、運、タイミング、めぐり合わせ、全てがかみ合った瞬間だった。



黄色いカラーコーンが現れた。
ここで私の100マイルは終わってしまう。
あと少しだったのに、、、
あの渋滞がなかったら、、、
いろいろ思いながら計測マットの上を通過した。
16:18(スタートから39時間48分)
第8関門富士吉田に到着。
杓子山の渋滞でもう間に合わないと勝手に思い込んでいたのでここの関門時間をしっかり把握していなかった。
どうせダメなら最後は全力で走って吉田うどんを食べて終わろう。
そう思いながらエイドに向かうと、皆さんの表情はまだ戦っていた。
ここでリタイアする人の雰囲気ではなかった。
あれっ、もしかして。
関門時間を確認すると17:00と書いてある。
現在の時刻は16:19
関門時間に間に合ってるじゃん。
えっ、ということはまだチャンスあるじゃん。
さらにビッグニュースが舞い込んできた。
杓子山の渋滞で今後の関門時間が1時間延長になったことを知った。
まじですかーーーーー!!!
消えかけた心の炎が再び燃え始めた。
杓子山の下りで「みつさん、行きますよ!」の一声がなかったらここで終わっていたと思う。
あの時声をかけてくれて本当にありがとう。
【最後まで・・・希望を捨てちゃいかん】
【あきらめたらそこで試合終了だよ】
スラムダンクの名言。
まさにこの状況だ。
安西先生の言葉が聞こえてきた。

第8関門(富士吉田)136km~ゴール(富士北麓公園)166.6km

第8関門(富士吉田)に間に合った。
まだマイラーになるチャンスが残っている。
嬉しさとともに力が湧いてきた。
この状態で食べる吉田うどんは最高に美味しくて2杯いただいた。
そろそろエイドを出発しようとしたら新しく2人の男性と出会った。
2人ともパワフルで元気がみなぎっている。
関門時間が延長してさらにやる気が出る3人。
喜びを分かち合い一瞬で意気投合した。



16:36
ちーちゃんとはここで分かれて3人でエイドを出た。
「100マイルやっちゃいますか」
一人が声を発した。
「絶対に完走しましょう」
3人とも気持ちは同じだった。
しばらくロードを走ると扉を開けて山の中へ。
いよいよラスボスの登場。
その名は霜山(しもやま)。
UTMF経験者、マイラーの方から最後の霜山もきついよと話は聞いていたので覚悟を決めた。
もちろん初めての霜山なのでどうきついのか分からない。
しばらく歩いているとなんとなくの雰囲気は分かってきた。
テクニカルなコースではない。
傾斜がきつく距離が長い。
登る、登る。
ひたすら登る。
何回まだピークじゃないの?と思ったか。
一緒に走っていた2人は速かったので途中で別れて1人になった。




17:49
振り返るとだいぶ高くまで登ってきたのが分かった。
このレースでいくつの山を登ってきたのだろう。
いろいろあったけどこの山が最後になる。
よくここまで来たな。
ずっと気になっていた左足首は再び痛みと戦っていた。
足の裏は針で刺されているような感覚だし靴下を脱いだらおそらくパンパンに腫れているのだろう。
気持ちが途切れた瞬間、一歩も歩けなくなるような気がした。
絶対できる。
この言葉を何回唱えてきたか。
もうダメだと思うこともあったがまだリタイアしていない。
レースは続いている。
18:27(スタートから41時間57分)
霜山の山頂はどこにあったのかな。
気付かなかったのかそもそも通らなかったのか分からないが下りに変わった。
夕暮れにそびえたつ富士山がもうあと少しだから頑張れと応援してくれた。



18:57
このレース3度目の夜を迎える。
ここまでのトータル睡眠時間は1時間10分。
よくまだ動けてるなと自分でもびっくりだった。
ヘッドライトをつけて進んでいると前から「がんばれー」「ファイトー」
女性の声が響いてくる。
とてもきれいな声でこちらにむかって呼びかけてくれる。
どんな人だろう。
めちゃくちゃ力をもらっていた。
ヘッドライトの灯りを消したら真っ暗、ほぼ目を閉じた状態と一緒。
こんな恐ろしい場所で応援してくれている。
それだけで勇気をもらった。
次第に声がよく聞こえてくる。
うっすらと人影が見えてくると「ナイスランです!」
声をかけてくれた女性はなんと!
セーラームーンのめぐちゃんだった。
まじでー、なんでここにいるの。
さすがに睡魔も眠気もなかったので本人だということは分かった。
「遅いよー」と一言。
ありがとうね、いつからこの場所で応援していたのだろう。
長時間こんな真っ暗な所で。
それを思うと胸が熱くなった。
「写真撮ろうよ」
携帯で写真を撮るとヘッドライトの灯りがきつすぎてうまく撮れない。
今度はヘッドライトの灯りを消して撮ってみるが真っ暗で見えない。
困ったなーと思っていたら後ろから人が歩いてきた。
「すいません、ヘッドライトの灯りを少し照らしてもらえませんか?」とお願いしてみるとまたしてもサプライズが。
なんとその人は岡崎さんだった。
うそでしょ、そんな偶然ある⁈
三人ともラン友さんで繋がっている。
なんか笑えてきたし疲れが一気に吹っ飛んだ。
「めぐちゃんありがとうね!」
感謝を伝えると岡崎さんと一緒にその場を後にした。




19:34(スタートから43時間4分)
富士急ハイランドまでやってきた。
本来ならここがゴール会場だが今年は富士北麓公園がゴールになっている。
照明に照らされたジェットコースター。
にぎやかな雰囲気でゴール会場にはふさわしいロケーション。
グレートレースで見たゴールシーンが蘇ってきた。
応援してくれる人とハイタッチを交わすあのシーン。
皆さんの表情がきらきら輝いていて最高の笑顔が印象的だったシーン。
もういいでしょう。
ここまでよく頑張った。
気持ち的にはここで終わりにしたかった。
そんなことを思いながら富士急前を通り過ぎる。


いよいよゴールという気持ちにさせておいて簡単にゴールさせてくれないのが今年のコース。
照明に照らされた富士急を後にすると再び山の中へ入って行く。
もう勘弁してください。
気持ちが一気に下がった。
前を見ると緩やかな登り。
走る気持ちはもう湧いてこない。
全身が悲鳴をあげている。
早くこの痛みから解放されたい。
富士急で一度ゴールした気持ちになったのでここからゴールまでがとてつもなく長く感じた。


、、、。
長い。
本当に長い。
ひょっとしてコースロストしたんじゃないかと思うが一本道なので迷いようがない。
どんだけ長いの?
走った人なら皆同じ気持ちになると思う。
このままずっとゴールが現れないのではと思った。
富士急から足を止めずに歩くこと1時間。
20:35
ようやくMt.FUJI100ののぼりが見えた。
富士北麓公園に到着。
歩道はカラフルな電球で彩られている。
やっと帰ってきた。
会場内に入ると拍手とカウベルの音。
おかえりなさーいと声を掛けてくれる。
ここを左に曲がればゴールゲートが見えるはず。
長かった100マイルがようやく終わる。
あと少しで本当に終わる。





Mt.FUJI100。
こんなきついレース、リベンジなんて絶対やりたくない。
この大会で完走しないと後悔する。
途中で何回思ったか。
フィニッシャーズベストを着てマイラーの称号を得たい。
ベストを着ている自分を想像してきた。
前方には光り輝くゴールゲート。
この2年間ずっと憧れてきた景色。
その景色が今目の前にある。
しばらくの間見つめていた。
、、、。
最後は感動で涙するかと思ったけど至って冷静だった。
自分は今どういう状態なのだろう、うまく言葉にできない。
夢は叶うと信じて今日までやってきた。
Mt.FUJI100のゴールテープを持ち上げている自分を想像しながら今日までやってきた。
絶対できる。
これまで諦めそうになる時は何回もあったけどいつもこの言葉を言い聞かせてきた。
自分で自分を信じてあげること。
無理だと思ってもそのすぐ後に「大丈夫、絶対できる」と。
「全てはこの大会でマイラーになるために」
Mt.FUJI100のおかげで夢は叶うということがまたひとつ証明できた。





まとめ
2年前にMt.FUJI100(UTMF)のスタートラインに立ちたいと決意。
そこから私の人生が変わりました。
「Mt.FUJI100(UTMF)でマイラーになる」
この目標と出会っていなかったらここまで楽しい時間を送れていなかったです。
はじめは100マイルがどんな世界なのか全く分からなかった。
それでも一歩一歩目標に向かって挑戦していく過程が楽しかった。
レース中夜を3回迎えたり睡魔と戦いながら進み続けるなんてなかなか経験できないこと。
ランナーの皆さん、非日常を真剣に楽しんでいる。
苦しいけど挑戦したい。
自分の何かを変えたい。
そんな人達が集まるMt.FUJI100はやっぱりかっこよかった。
トレランの最高峰、Mt.FUJI100。
この挑戦を選んで本当によかったです。
ここまでの長文、最後まで読んでいただきありがとうございました。
このブログが次の一歩を踏み出すきっかけになってくれたら幸いです。
おまけ
大会が終わってこんなことを考えていました。
目標が達成出来てうれしい気持ちと目標が叶ってしまいこれから何を目標にしていけばいいのかという気持ち。
完走できてもちろんうれしいのだけど違う見方をしている自分もいた。
完走できなかった方が幸せだったのかもと。
完走できなかったらまた次の一年Mt.FUJI100でマイラーになるために頑張れるから。
どちらが幸せだったのだろうと思う時があります。
大会で結果を残すことも大切だけど目標に向かって挑戦してる時間が一番楽しいんじゃないかと思うのです。
次の目標は何にしよう。
少し考えてみました。
違う大会でマイラーになる?
Mt.FUJI100でさらにタイムを狙う?
そういう流れもあるかもしれないけど私はそこに対して燃える気持ちにはなれなかった。
今回完走してやり切った、燃え尽きた、そんな気持ちだったのです。
自分がまだやれていないことに挑戦したい。
頭の中に浮かんだのはウルトラでサブ10かマラソンでサブ3。
どちらも興味はあったがウルトラはエイドや出会いを楽しみたいという気持ちが勝っていた。
そうしたらマラソンでサブ3かな。
自分の中ではMt.FUJI100でマイラーになるよりもマラソンでサブ3の方が圧倒的に難易度が高いと思った。
だからその世界に飛び込むのは少し怖かった。
サブ3をやるなら苦しい練習をしないといけないから。
今まではサブ3をやるという覚悟までは至らなかった。
でも挑戦したらどこまで行けるんだろうという興味はあった。
100マイルを完走して今思うこと。
サブ3は可能性がゼロではないと思った。
私は現在45歳、年齢的にも挑戦するなら早い方がいい。
「今日が人生で一番若い日」
マラソンでサブ3。
今はその挑戦にワクワクしています。
うまくいかないことの方が多いけどそれらを乗り越えて達成できた喜びは半端ないはず。
しばらくはこのサブ3という挑戦を楽しみたいと思っています。
「絶対できる」
私は挑戦してる時間が一番幸せを感じるのです。

大会翌朝、富士山バックに念願のフィニッシャーズベストを着て


大会翌朝、朝食時にレーストークで盛り上がる

最後に。
Mt.FUJI100に出場した皆さま、100マイル経験者の皆さま、何かいい眠気対策ありましたら教えていただきたいです。今回本当に辛かったので。
あとブログを読んでなにか挑戦してみようと思った方、目標に向かって一緒に楽苦(たのくる)しんでいきましょう。
気軽にコメント欄でお聞かせください。どうぞよろしくお願いします。
今回のMt.FUJI100で使用したアイテムはこちらになります↓
※私が使っているレッドレンザーNEO10Rは生産停止に、その後継機種(NEO9R)になります↓
※予備ライト↓
Mt.FUJI100好きな方にはこちらの記事もおすすめ↓
コメント
ミツさん、超大作の3部作お疲れ様でした!
だんだんと薄れゆくFUJIの記憶の中、自分のレースと重ね合わせながら読むことで、あの時の楽しさや苦しみがまた鮮明に蘇ってきました。
贅沢で幸せな時間だったなぁと。
ミツさんとは道中に何度もお会いし(もしかしたら最も会った人かも!?)、元気をいただきました。
100mileレースは身体に良いことは何一つなかったですが(笑)、人生と心の充実には間違いなく繋がりましたね。
次の目標はサブ3とか。難易度はFUJI完走の比ではないぐらい高い目標ですが、応援しています!
もりさんありがとうございます!
まだ2か月前の出来事なのにかなり昔のように感じます。
Mt.FUJI100、本当に濃い時間でしたね。あれは経験した人にしか分かりません。
間違いないです、身体に良いことはないですね、笑。
人生経験としてこのエピソードはどこでも使えそうなので
100マイルに挑戦してよかったです。
次走りたいかと言えば今は悩ましいですが、、、。
でもまたいつか走っている気がします。
もりさんの次の目標は何か決まりましたか?
お互い体を壊さない範囲で楽しんでいきましょう!